「ねないこだれだ」の色あせない魅力
時計が9時を指してなります。ボン、ボン、ボン・・・こんな時間に起きているのは誰だ?ふくろうにみみずく?ねずみ?どろぼう?夜中はおばけの時間だから、夜中に遊ぶ子はおばけになって、おばけの世界へ飛んでいけ・・・
主人公がおばけになって飛んでいくという、衝撃の結末で終わる名作絵本「ねないこだれだ」。
こんな怖い絵本が幼稚園児時代の私のお気に入りでした。
子どもだけではなく子どもから大人になった人までも虜にするせなけいこさんの名作「ねないこだれだ」の秘密を考えてみました。
しつけ絵本ではない
この本はよく、しつけのための本と間違われるのですが、そんなつもりで書いたのではありません。しつけの本だったら、子どもはこんなに好きになってくれるはずがありません。子どもは敏感ですからね。そういったことはすぐにわかってしまうんです。 引用:https://toyokeizai.net/articles/-/131828
子どもたちに「善」と「悪」を教えるためのツールとして物語はよく用いられます。
例えば、イソップ物語「アリとキリギリス」はまじめに働けば幸せが、怠ければ死が訪れるという教訓を昆虫になぞりながら学べます。
しかし、「ねないこだれだ」はイソップ童話「オオカミ少年」のように、『悪いことをしたら罰がある』と教え諭しているものではありません。
子ども世界におばけはいる
子どもの世界は、時々おばけの世界と交わることがあります。子どもはおばけが「いる」ということを知っていますから、あんなにドキドキできるのです。おばけの本を読んであげているときの、子どもの様子をみれば、すぐにわかります。子どもはすっかりおばけの世界に飛んでいっているのです。
『子どもはおばけが見える 』とはよく言われています。
子どもだからこそ、おばけや魔法などの不思議な世界を体験できるのだと思います。
確かに、子どもにとっておばけは怖い存在です。でも同時に、友だちになれるような、自分の味方になってくれるような二面性を感じるのではないでしょうか。
人間の中におばけは住んでいる
また、せなけいこさんはこのように語られています。
子どもが「これはぼくだ」「この子は私だ」と思ってくれる本を、私はつくりたかった。お母さんが喜ぶ本ではなくて、子どもが「自分だ」と感じる本をつくりたかったのです。
『ちょっぴり悪いことをしている自分」を客観的に見つめながら、時にそれを責めたりいっしょにふざけたりする自分こそ『おばけ』ではないかと思うのです。
だからこそ、おばけの中に自分を投影して絵本の世界にのめり込んでいくのだと思います。
おばけと大人になっても友達でいたい
いつから「ねないこだれだ」をしつけ本としてみるようになってしまうのでしょうか。
この時期こそ大人と子どもの境界線だと思うのです。
子どもの持つ豊な感受性はどこかで失われてしまうのでしょうか。私はそれを守れる教師でありたい。
教師という子どもと接する仕事をするからこそ、子どもの世界を常に持っておく必要があると思います。
大人よがりの指導をしないためにも、子どもの思いを汲み取るためにも、「悪いことをしてドキドキしちゃう、でもやっちゃう」かわいいおばけと大人になっても友達であり続けたいな。
今回引用させていただいたせなけいこさんのエッセイです
おまけ
大人になってもみんな「ねないこだれだ」が大好きなんだなぁ